岩則京遊について

「売り手によし、買い手によし、世間によし」の『三方よし』という近江商人の経営理念のもと、岩﨑栄次郎が明治12年(1879年)2月11日に畳屋を始めました。それが、岩則京遊のルーツ「岩﨑栄次郎商店」の始まりです。
以来145年にわたり、日本の畳文化を大切に育んできました。

 慶應元年、米問屋の家に生まれた栄次郎は、明治維新の年(1868年)、両親が逢坂山の賊に襲われて亡くなり、まだ3歳という幼い時に天涯孤独となりました。 その後、叔父に育てられますが、子供の頃から独立の志が高く、二十歳前に藺草いぐさ(畳)の商いで「岩﨑栄次郎商店」を興します。

 安三郎の長男栄三は、大学進学を両親から反対されていましたが、卒業後は家業を継ぐことを条件に大学に進みました。進学を反対されたこと、反対を押し切って進学したことは栄三にとって、とても辛い経験だったようで、お酒を飲むたびに、その時の苦しい胸の内を四代目 則子に聞かせていました。
 三代目として会社を継いだ栄三は、販路を全国に展開することに成功しました。そして、岩﨑栄次郎商店の畳は北海道以外の日本中で販売されるようになりました。栄三は、長女の則子にとって、スケールが大きく、ユーモアに富み、人を優しく包み込む父親でした。

 そして、三代目栄三の姿をみて育った私 岡澤則子が四代目です。
藺草いぐさ、畳の良さを伝えていくために、試行錯誤を重ねて、新しい商品を開発しています。
次世代に残していくために、私は「岩則京遊」として新しい使い方を提案していきます。
これからも「岩則京遊」をどうぞよろしくお願いいたします。